『昭和の時代、観光地の顔出しパネルで写真を撮るブームがあった』
昔の写真アルバムを開くと、必ず出てくる写真があります。
それは、観光地にある「顔出しパネル」。ベニヤ板に穴が開いていて、そこから顔をスポッ!と出して写真を撮る、あの看板です。
今思うと、あれって本当に不思議です。どれだけ立派なお寺に行こうが、すごい景色が広がっていようが関係ありません。あの安っぽいパネルが見えた瞬間、みんな吸い寄せられるように歩いていっちゃう。
あれは、当時のお父さんたちにとって、旅の「お祭り」みたいなものだったんだと思います。「そこに穴があるなら、とにかく子どもの顔をハメなきゃいけない!」という、謎の強い気持ち。
たとえば、真夏の熱海の海。ものすごく暑いなか、お父さんが重たいカメラを首から下げて、目をギラギラさせて立っています。狙うのは、男の人が女の人をポーン!と蹴っ飛ばしている、昔の有名なお話のパネルです。
「ほら、そこ並べ」
お父さんのその一言で、もう逃げられません。こっちは子どもだから、旅先で何十回もいろんな穴に顔を突っ込まされて、いい加減うんざりしています。「さっき別の場所でもやったじゃん!」って嫌がるんだけど、お父さんは絶対に許してくれません。
「バカ者!熱海に来てこれをやらないなんてありえない。ほら、お前が蹴られる方だ。お母さんは蹴る方に入れ!」
「え〜、私の方が若くてかわいい役になりたいわ」
「お前は顔のサイズ的に蹴る方しか無理だろ!早くしろ、フィルムがもったいない!」
今ならケンカになりそうな会話だけど、当時はこれが普通でした。昔は写真を撮るのにもお金がたくさんかかったから、お父さんも真剣そのもの。
板の後ろ側に回り込むと、表側の賑やかさとはまったく違う、薄暗い木の枠だけの世界になります。昔の人たちの汗や、海の風の、なんともいえないカビ臭い匂いがツーンとします。
覚悟を決めて、穴に顔をズボッ!とハメる。ここからがまた長いんです。お父さんのスイッチが入っちゃうから。
「おい、もっと顔を前に出せ!隙間を作るな!」
「お母さん!なんだそのニヤニヤした顔は。もっと怒った顔をしろ!」
周りのお客さんがクスクス笑うなか、木のトゲがほっぺたに刺さりそうなのを我慢して、じーっとまっすぐ前を見つめます。首から下は、きれいな着物を着た大人の女の人。首から上は、半ズボンをはいた小学生。
カシャッ。
重いシャッターの音が響きます。今のデジカメやスマホと違って、その場ではどう撮れたか分かりません。やり直しのきかない、一発勝負です。
本当に面白いのは、旅行から帰って2週間くらい経ったあと。カメラ屋さんから現像された写真をもらってきて、家族みんなでコタツを囲んで見るんです。
「あら、これよく撮れてるじゃない」とお母さんが笑っているんだけど、よーよーく見ると、やっぱりめちゃくちゃおかしい。
お母さんにものすごい勢いで蹴っ飛ばされているはずの息子が、なぜかカメラを見て、思いっきりドヤ顔でピースサインしている。着物の袖から、真っ黒に日焼けした子どもの腕がにょきっと出て、ピース。かわいそうなシーンのはずなのに、面白すぎて涙が出るほどマヌケです。
お父さんも不思議そうに「お前、なんで蹴られてるのにピースしてんだ?」って聞くわけです。そしたら、自分がポツリと言いました。
「だって、お父さんが『はい、チーズ』って言ったから……」
当時の子どもは「はい、チーズ」って言われたら、どんなピンチのときでも指を2本立てなきゃいけないという、謎のお約束が体に染みついていたんです。それだけ、お父さんの喜ぶ顔が見たかったのかもしれません。
今のスマホの感覚からしたら、「写真を1枚ムダにして何やってるの?」って話だけどさ。でも、あの古いアルバムの穴から覗いている顔って、みんなちょっと恥ずかしそうで、でも信じられないくらい楽しそうなんだよね。
あの安っぽいベニヤ板の穴は、ただのおふざけじゃありません。ちょっと不器用で、いつでも全力で、どこか抜けていた「昔の日本の空気」を、そのまま閉じ込めて残しておくための、タイムカプセルみたいなものだったんだと思います。