『昭和の時代のワンカップの空き瓶の利用法』
あ、ワンカップの空き瓶。これ、本当に懐かしい。
昭和の実家って、これが定番だった。どこの家でも、お酒の空き瓶をそのまま麦茶のコップに再利用していた。
食器棚の奥には、もらい物の高いグラスが箱のまま眠っているのに、それは客用だから触らせてももらえない。結局、一番出しやすい特等席に、この瓶がズラッと並んでいる。
学校から帰って、汗だくのまま冷蔵庫を開け、冷水筒からドボドボ注ぐ。一気にゴクゴク飲むのが最高だった。
何より、とにかく頑丈で絶対に割れない。手が滑って台所の床にゴツン!と落としても、びくともしない。普通のコップなら一発で粉々だが、タフさが段違いだから親も安心して使わせていたのだと思う。
たまにラベルの剥がし跡がペタペタしたり、瓶に「大関」と文字が浮き彫りになっていたり。あのちょっと内側に丸まったフチの口当たりが、不思議と唇になじむ。
夕方、仕事から帰ってきた親父が、ビールをやっぱりこの瓶に注いでいる。「格好悪いからやめてよ」とおふくろが言っても、本人は「これが一番しっくりくるんだ」と気にせず美味そうに飲んでいた。
見た目は格好良くない。でも、使えるものは何でもトコトン使うという、あの時代の大らかな空気がそのまま詰まっていた。
今、オシャレなカフェで綺麗なグラスを出されても、ふと思う。
いや、実家にあったあの「大関」のほうが、持ちやすさも割れない安心感も、よっぽど上だったな、と。