>「創造の力を得るために「魔神(デモン)」を呼ぼうとしていた」
哲学者の石とか、賢者の石と呼ばれる錬金術の秘儀の素があるでしょう。ぼくが、ロバート・ボイルやジョン・ロックなどの17世紀の後半の実験的自然学者を勉強していたとき、この人たちは「賢者の石」的な秘密の鍵を〝探し求めない〟という潔さがあるな、と思って面白かったんです。
それさえ得れば、すべてが解読できる秘密の鍵みたいなものは、求めない。
みんなで手分けして、あっちこっちの分野でてんでに観察や実験を繰り広げて、それを持ち寄って、やっさもっさ議論したり、もっと実験や観察をしたりする中で、すこし知見がひろがる。それを続けて行けば、いずれ「賢者の石」がなければわからないと思われてたことも、凡人の努力でわかるようになる。みんなで片っ端から事実を枚挙して行けば、いずれ全体像に到達する。こういう、どう言ったらいいか、〝愚公山を移す〟的な徹底性が感じられた。
ニュートンは、数学の天才だったせいで、「賢者の石」みたいな根本原理を思いがけず摑んでしまった。ニュートン以後の西洋の厳密な学問(science)のとらえ方は、原理を把握しないとだめなんだという方向に戻って行きます。カントの自然科学観(今でも有力だと思うけど)は、そういうものだと思います。
〝愚公山を移す〟の方は、技術学(technology)として別途発達していって、こちらが日本では科学として学ばれた。このやり方だと、創造の力を得るために必要なのは、デモンではなくて、無数の無名の技術者たちになる。
LLMはどちらとも関係がある。枚挙に関しては、「愚公山を移す」に近い。でも御託宣が降りてくるところは、「賢者の石」に近い。
ぼくとしては、しかし、LLMのなかには、実験や観察がもとづいている人間の五感による世界の体験が欠落してるので(体験の報告しか無い、体験それ自体は無い)、賢者の石のニセモノにしかならないだろう、と思っています。